一般高校生の日記

長門教信者Masa24による信仰日記。主に日常や部活についてがメイン。

真面目終了

どうも。

今日もいつも通り真面目に授業を…と言いたいところだが。

新学期早々とんでもないミスを犯してしまった。

中学の頃なら何とも思わなかっただろうけど。



忘れ物。

そう、忘れ物。

授業とは、教科書等の資料を見ながらノートに板書や注意事項を書き記すものである。

忘れ物をしたら元も子もない。

対策法としては、友人にノートをもらったり、教科書を貸してもらったり、まぁ色々あるが。

授業において一番大切と言っても過言ではない気分が落ちる。

気分が落ちると、授業もあまり聴く気にならない。

すなわち、忘れ物とはその日一日絶望するということなのである。




というわけで、忘れ物をしたわけだ。

それも大量の科目。

前夜の寝る前にいつもする翌日の準備の際考えていたことを思い出す。



そのときの俺は、「授業のノートを持って帰っている」という事実すら忘れてしまっていた。

中学の名残りで、授業の用意は全てロッカーに入っていると思ってしまっていたのだ。

やっぱり、まだ中学から抜け出せてないな。

今の自分は、毎日授業ノートを全部持って帰っている真面目な奴であるということを忘れていたのである。

氏ねよ、腐った自分。

と、自分で自分に愚痴を言ってみる。



というわけで、ノートを借りたり、あるいは教科書に書くなどした一日だった。



授業について。

4時間目、保健。

正直、あの授業は受け付けんわ。

特に身体障害者の差別用語とか。

「つんぼ」と「耳が不自由な人」って、表現が変わっただけで意味は全く変わっていないよね。

一体何が違うというのか。

わざわざ言い換える必要なんてどこにあるんだろう。

面倒なだけじゃない。

わざわざ言いにくい言葉で言う理由がわからないわ。

他には、「殿」という表現とか配偶者の「嫁」「主人」って表現とか。

変えたところで一体誰が得するの?

そのままにしたところで、何か支障をきたすことはあるの?

場合によって変える必要はあると思うがね。

いい例が父兄→保護者。

最近は母子家庭とか、両親がいない家庭とかも増えているし。

場合によって変えるのは大切。

だが、ころころ変える必要はない。

変えるだけ無駄。

そこらへんはよく議論する必要があるだろう。



放課後、部活へ。

本日は吹奏楽…のはずなのだが。

ごめんなさい、無理ですた。

グリークラブに無性に行きたくなったんだな。

一日他の部活にいると、グリーが恋しくなるわけだ。

もうグリーに入っちゃえば?と思う人も少なからずいるだろう。

そういうわけにはいかない。

色々な部活に行って比べる必要がある。

中学の頃殆ど行かずに後悔したので、高校はちゃんと行こうと。

だが、理想と現実は違うもの。

自分の思うがままに動いてしまうのが現実である。



安定のグリー。

本当に楽しい。

レミオロメン「3月9日」の合唱。

歌うって楽しいね。

ストレスも発散できるし。

先輩も面白いし。

高校は楽しく過ごしたい。

グリー、ねぇ…

まぁ、迷えるだけ迷っておくとしよう。



なんせ、自分の青春を決めるものだからね。

慎重に選ばないと。



明日は吹奏楽部に行くと…思う。

以上、長門ネ申!!